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高松高等裁判所 昭和62年(ラ)27号 決定

主文

原決定を取り消す。

相手方の本件移送申立を却下する。

理由

一抗告の趣旨及び理由

本件抗告の趣旨は主文同旨の裁判を求めるものであり、その理由は別紙抗告理由(一)(二)のとおりである。

二当裁判所の判断

1  一件記録によると、原決定に至る経緯として、次の事実が認められる。

(一)  抗告人らの被相続人である角田義男(以下「義男」という。)は昭和五〇年一二月一日及び昭和五二年一一月一日の二回にわたり相手方との間で、被保険者を義男、保険金受取人を同人又は抗告人フサ子とする生命保険契約(以下「本件各保険契約」という。)を締結したが、昭和六一年一月四日義男の死亡により、抗告人らが本件各保険契約に基づく死亡保険金の支払請求権を相続人として、又は保険金受取人としてそれぞれ取得したとして相手方に右各保険金の支払を求める訴(以下「本案訴訟」という。)を原裁判所に対し提起した。

(二)  これに対し、相手方は、本案訴訟は生命保険契約に基づく保険金の請求であるところ、相手方の本店は東京都渋谷区にあり、保険金の支払場所も普通保険約款(以下「本件約款」という。)一一条により右本店(本社)となつているから、右訴訟の普通裁判籍及び義務履行地による特別裁判籍とも東京都渋谷区にあり、原裁判所には本案訴訟の管轄権がないと主張し、これを管轄裁判所である東京地方裁判所に移送するよう求めた。

(三)  原裁判所は、相手方の主張を採用し、本案訴訟について原裁判所の管轄は認められず、右管轄は東京地方裁判所にあるとして、民訴法三〇条一項により、右訴訟を同裁判所に移送する旨の原決定をなした。

2  そこで、原決定の当否について判断する。

(一)  まず、一件記録によると、相手方の本店は東京都渋谷区にあるものと認められるから、本案訴訟の普通裁判籍は同区にあるものと認められる。したがつて、この点に関する原決定の判断には誤りはない。

(二)  次に、本案訴訟の義務の履行地による特別裁判籍も東京都渋谷区にあるかについて検討するに、一件記録によると、次の事実が認められる。

(1) 相手方の本件約款一一条には「保険金は調査のため特に日時を要する場合のほか、第九条の書類が本社に到達してから五日以内に本社で支払う。」旨定められているところ、義男は相手方の定款・約款及び特約条項に従う旨の文言が記載された契約申込書に署名・捺印したうえこれを相手方に提出して契約の締結を申し込み、契約締結後相手方から交付された保険証券にも右約款等に基づいて契約を締結した旨の記載があつたが、義男はこれに対し異議を申し出なかつた。

(2) 相手方を保険者とする生命保険金の支払は、その支払について契約関係者間に争いがなく任意にこれがなされる限り、受取人の住所地の支社・営業所の窓口で交付されるか、受取人の指定する金融機関の口座に振り込まれるかいいずれかの方法によつているのであるから、右約款による支払場所の定めは、契約関係者間において右支払について紛争が生じ、これが裁判で争われる場合を予想したもので、右は実質上専属的合意管轄を定めたものにほかならない。

(3) 相手方と保険契約を締結しようとする者は、本店所在地に居住しない限り、住所地所在の支社・営業所の担当者と契約締結の交渉をしているのであるから、右保険金の支払も保険金受取人の住所又は右支社・営業所でなされるものと考え、本店まで出向いて支払を受けるものとは考えてなく、まして、将来保険金の支払が裁判所で争われるようになつたときには東京地方裁判所で審理を受けるようになるなどとは思い及ばないところであつて、もし、相手方の担当者から前記約款の趣旨の説明を受ければ、右のような約款を定めない同業他社の存在する限り、これら同業他社との契約締結を望み、相手方との契約締結に躊躇するものと考えられ、義男もその例外となるものではなかつた。

(4) わが国の生命保険会社は、かつて相手方と同様本件約款一一条と同旨の約款を定めるのが大勢であつたもののようであるが、これが附合契約としての約款の内容としては適当でないと考えたためか、近時右約款を改め本店のみならず支社その他で保険金を支払うこととするものが増加しており、その状況は社団法人生命保険協会加盟の各社について別表(一)(二)のとおりである。

右認定事実に基づいて考えるに、保険は営業的商行為であり、相手方が保険を営業とする会社であることが明らかであるから、本件各保険契約に基づく保険金の支払場所は商法五一六条一項により保険金受取人である義男(同人死亡によりその相続人である抗告人ら)又は抗告人フサ子の住所となるところ、右支払場所については本件約款一一条によつて相手方本店とする特約が成立しているため、右約款一一条が有効である限り、前記法条の適用が排除され、本件各保険金支払の義務の履行地は相手方本店所在地であり、その裁判籍は東京都渋谷区ということとなる。

しかしながら、本件約款一一条による義務の履行地の定めは、前記認定のとおり、実質上専属的合意管轄を定めたものにほかならないところ、およそ右専属的合意管轄のように、相手方と対等の立場にない経済的弱者ともいうべき保険契約者に不利に、しかも同人が十分にその意味を理解することなくしてなされたものと推測されるものについては、その効力を有しないものとみるのが相当である。なぜならば、約款は保険契約のように大量処理の必要上附合契約によらなければならない性質のものについて定められるものであつて事柄の性質上必ずしもその内容について具体的合意を要しないものとされているのであるから、当然その内容は合理性・妥当性を備えなければならないと解されるところ、本件約款一一条は右要件の具備について疑問なしとしないからである。このことは、前記認定のとおり、本件約款一一条と同旨のものが生命保険業界において保険契約者の利便を考慮して漸次改善されつつあることに加え、もし保険会社において従来の右約款に固執するときは、その説明をなす限り、契約申込者は既に右約款を改めた同業他社との契約締結に流れるであろうと考えられることによつても裏付けられるところである。そうすると、本件約款一一条は相手方がその説明をなさず、しかも保険契約者がこれを知らなかつたことを前提に存続可能なものと言つても過言でなく、このような約款は附合契約としての許容限度を超えたものと解さざるをえない。

したがつて、本件各保険金支払義務の履行地は抗告人らの住所地であり、その特別裁判籍は松山市にほかならない。

3  以上のとおりであるから、本件各保険金支払請求訴訟について原裁判所にその管轄権がないことを前提にその移送を求めた相手方の本件申立は理由がなく失当たるを免れない。

4  よつて、右判断と異なる原決定は不当であるから、これを取り消したうえ本件申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官高田政彦 裁判官早井博昭 裁判官上野利隆)

抗告の理由(一)

一 本件各保険契約締結の際には、乙第一、第二号証の約款の呈示も説明もなく、仮に約款に相手方主張のような義務履行地の規定があるとしても、右規定は、本件契約締結の際に合意の内容となつておらず、従つて、本件においては、抗告人らの住所地が義務履行地となり(民法四八四条)原裁判所に民事訴訟法五条の裁判籍がある。

二 仮に然らずとするも

1 本件のような場合、実際の慣行としては、受取人の選択により、松山の相手方営業所窓口で支払うか、受取人の指定する口座に振り込む方法によつて支払われるのが常であり、わざわざ東京の相手方本社まで出向いて支払を受けるというようなことは行われていない(熊本地決昭五〇・五・一二判タ三二七・二五〇・広島高松江支部決昭五六・八・一七判タ四五一・九七)。

2 一般に、保険契約者は、いざ訴訟になると支払地が本社となつて、本社所在地でしか提訴できないといつたことまで契約の際に予想することはできないし、例え予想しえたとしても、その点についてまで覚悟して合意せよと強制することは許されないといわなければならない(水谷暢「保険訴訟における合意管轄」民商法雑誌六九巻五号九二九頁)。

3 本件において、抗告人らが故義男を失くして抗告人フサ子だけの収入に依存している母子家庭であるように、殆んどの場合、受取人は経済的弱者であつて、そのような者に本社のある東京での訴訟活動を強制することは、事実上、提訴を断念させるに等しい結果を招来するものである(傷害保険について札幌高決昭四五・四・二〇下級民集二一巻三・四号六〇三頁)。

因に、かつて、海上保険について合意管轄の規定が認められ、火災保険について認められなかつたのは、前者においては保険者と加入者との地位が平等であるに反し、後者においては、加入者は保険者に比して弱者たる地位に立つからだとされている(青谷民商法雑誌一七巻四号一四頁)が、生命保険において支払地を本社とするような約款の効力が認められるならば、それは経済的弱者圧迫以外の何物でもないのである。

4 支払地を本社とする規定によつて利益を受けるのは相手方だけであつて、そのような規定が有効とされると事件の大都市への集中が助長される弊害も伴うこととなるが、相手方は松山にも営業所を有しており、実際の手続は営業所で行なつているのであるから、松山で審理したとしても格別不利益を受ける訳ではない。

よつて、右1ないし4に述べたところから、本件規定は民法九〇条に違反して無効であるか、そうでないとしても、右規定を合理的に解釈すると、受取人の住所が松山にあるときには、松山の営業所も保険金の支払場所であると解すべきである。

三 又、民事訴訟法二五条二項は、管轄の合意が当事者に重大な影響を有するので、当事者の意思の明確を期する要があり、合意の対象となる訴訟が不明確だと、当事者の一方に不測の不利益を及ぼすおそれがあるところから設けられたとされているが、その趣旨からすると、本件のような履行地特約も、民事訴訟法五条の効果を生ぜしめる限りで、それが二五条二項をかいくぐるものであれば、約款をもつてしては訴訟法上の効果を生ぜしめないと解すべきであり、あるいは、そもそも五条の履行地とは単に約款上明示されている地点ではなく、実質的に履行が行われる地点であると解すべきである(前出水谷九三三頁)。

四 よつて、本件移送申立は却下されるべきである。

抗告理由(二)

一 本件各保険契約締結の際、相手方は、振替不能の場合にも、担当者が直接義男宅に保険料を集金に訪問することを約し、保障について安心するよう、書面(甲第九号証)まで交付している。

二 相手方の不払の理由は、昭和六〇年一〇月分以降の保険料が、指定口座である愛媛信用金庫余戸支店の義男名義口座から振替できなかつたことを理由とするもののようであるが、右約束に反し、同六一年一月四日の義男の死亡迄の間、相手方担当者が集金に訪問することも、相手方から振替不能の事実を連絡することも一切なかつたものである。

抗告人らは、同月二〇日頃相手方から届いた葉書を見て、初めて同六〇年一〇月分以降の保険料が振替できていないことを知つたのである。

三 前記約束により、振替不能の場合には、保険料の支払は取立債務となるのであるから、相手方が取立をしていない以上、相手方は、保険料の不払を理由に保険金の支払を拒絶することはできず、仮にそうでないとしても禁反言もしくは信義誠実の原則により、相手方が、保険料の不払を理由に保険金の支払を拒絶することは許されないといわなければならない。

四 かようにして、本件においては、右約束の内容・振替不能の事情・相手方の取立・催告の有無等が争点になることが考えられるが、本件保険契約は、松山において、相手方松山支社の担当者と義男の代理人である抗告人フサ子との間でなされたものであり、従つて、右約束・相手方の取立・催告は松山での出来事(但し、取立・催告はなかつた)であるし、振替不能の事情も同様である。

よつて、予想される争点すべてについて、松山地裁での審理が適切であり、相手方の申立は失当であるといわれなければならない。

別紙(一)

保険金支払場所の約款規定一覧 (一)

会社名

昭五〇年一二月現在

昭五二年一一月現在

昭六一年一月現在

日 本

本店で支払います

会社の本店で支払います

現行と同じ

日本団体

本店で支払います

会社の本社または会社の指定した場所で支払います

現行と同じ

日 産

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

平 和

現行と同じ

本店または会社の指定した場所で支払います

現行と同じ

東 邦

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

東 京

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

千代田

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

太 陽

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

大 正

会社の本社または会社の指定した場所で支払います

現行と同じ

現行と同じ

第 一

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

大 同

会社の本社または会社の指定した場所で支払います

同上

現行と同じ

第 百

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

大 和

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

安 田

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

富国

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

朝 日

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

協 栄

会社の本店または会社の指定した場所で支払います

同上

現行と同じ

明 治

会社の本社で支払います

同上

現行と同じ

三 井

現行と同じ

現行と同じ

現行と同じ

西武オールステート

会社創業前

現行と同じ

現行と同じ

住 友

本社で支払います

会社の本社で支払います

現行と同じ

別紙(二)

保険金支払場所の約款規定一覧 (二) (現行約款)昭和六二年六月現在

会社名

規定内容

指定した場所の内容

日 本

会社の本店または支社で支払います

日本団体

会社の本社または指定した場所で支払います

支社等を指す

日 産

会社の本店で支払います

平 和

本店で支払います

東 邦

会社の本社で支払います

東 京

会社の本社または会社の指定した場所で支払います

保険金受取人の希望により銀行等振込、支社営業所で支払

千代田

会社の本社または会社の指定した場所で支払います

会社が認めうる場所であればどこでも指定できる

太 陽

本社または会社の指定した場所で支払います

支社

大 正

会社の本社または指定した場所で支払います

支社または営業所

第 一

会社の本社で支払います

大 同

当会社の本社または当会社が窓口として指定した場所で支払います

会社の指定した支社等

第 百

会社の本社で支払います

大 和

会社の本社で支払います

安 田

会社の本社で支払います

富 国

本社で支払います

朝 日

会社の本社または会社の指定した場所で保険金を支払います

実務上は指定するような処理はしていない

協 栄

会社の本社または指定した場所で支払います

総局

明 治

当会社の本社で支払います

三 井

会社の本社で支払います

西武オールステート

本社または会社の指定した場所において支払います

保険金受取人の住所地あるいは営業部・支社

住 友

会社の本社または会社の指定した支社で支払います

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